大好きな母が亡くなって今日で33日目


この1ヶ月 どんな風にどんな感情で過ごしたのか


はっきりとしたことはわからない



ただ  


時間だけは日常的に過ぎていく 




「母」という絶対的な存在が自分の目の前からいなくなってしまった



それがどれだけ大きなものだったか




「ただいま」「おかえり」 


「いってきます」「行ってらっしゃい」


「おいしいね」「これ、かわいいね」


そんな日常の簡単な言葉が本当に何だか温かかったんだってしみじみ思う



本当に大切なことってシンプルなんだよね



本当にお母さんはたくさんの愛情を持っていた



本当に優しく、強い人だった



そのぶれない愛情にわたしはずっと居心地よく守られてきた



生まれてきてからずっと




それが目に見える形ではなくなってしまった



この1ヶ月 


悲しいとか 寂しいとか


そういう感情だけではなくて、言葉にできない本当に色んな困惑した想いが



自分の中をぐるぐるしっぱなし


数えきれないほどの後悔


もっともっとこうしてあげればよかった


もっと一緒におでかけすればよかった


何でもっと優しくしてあげなかったのかな


もっと もっと もっと・・・



テレビを観ていても思い出し 車の運転をしていては考え ご飯を食べながら泣き


親子が歩いていると本当に羨ましくて


つい本当につい最近まで一緒にお買い物に行っていたのにって


どうして今はもういないんだろうって




でも1人だと上手に泣けないんだよね


カラカラ カラカラって何だかよくわからない



カラカラ笑い カラカラ泣く



本当にこんな表現が当てはまる



感情がうまいこといかない



悲しみが肺に溜まっていくこと


こんなにも実感したことはなかった


本当に呼吸が苦しくなるんだね




でも、わゎゎゎゎーーーって大きな声で泣けた時は何だか少しすっきりする


やっぱり泣いて「浄化すること」って本当に大事なんだ




毎日起きて、ご飯を食べ、生活していく


時間は全く日常と変わらない


「時間」が平等ってこういうことなのかもしれないって思った




「ただ起こっていることを受け入れること」


いつもクラスで言っていること



本当に「ただ受け入れる」以外どうにもならないことがこんな形で存在すること



知らなかったよ



きっと自分の中で何かが確実に変化した




今はまだ、どんな自分でも受け入れていかなきゃ


ダメな自分も すごくダメな自分も うまくいかない自分も 上手に笑えない自分も


ただそれだけ



周りには力になってくれる温かい存在が本当にたくさんいること



このような状況にならなければわからなかった感情



たくさん たくさんある




今はこの「今」の時間を大事に1歩1歩進んでいく


大事にできない日もある


それも受け入れる




ただそれだけ



まだまだ先のことは全然わからないけれど


自分の精神が穏やかで自由で心地のよい状況を築いていきたい




お母さんからもらったたくさんの愛情があれば大丈夫



目に見える存在から、自分の中の永遠の存在へと変わっただけ


そう確実に思えるまでにはまだまだ時間がかかるけれど



その愛情は決してぶれない



1歩1歩


前を向いていきます




みなさんからのたくさんの優しさ しっかり受け取っています


繋がってくれるもの こと 人 全てに感謝しています





Namaste